月詩が姿を消しても、ラジウムは追わなかった。
「せっかく治療したのに」 そう云ったのはセリオだ。部屋を追い出された挙句、布団まで台無しにされ、大損だ。 「どの道、見過ごせないんでしょ」 散らばった綿を集めて袋に詰めながら、ラジウムは笑っている。 扉の脇にもたれたセリオも、肩を揺らして笑った。 あらかた床を綺麗にしてしまって、ラジウムは大きく伸びをした。自分でやったこととはいえ、屈みっぱなしは些かつらい。 子供がするように寝台に倒れこむ後ろで、 「それで、行き先の見当はついているのかい」 「なんのこと?」 「嘘つきはよくないな、マスター?」 セリオが脇に腰かけると、駄々をこねる猫のように僧衣にじゃれつく。 「苦手なの、ああいうの」 「どの道、見過ごせないんだろう?」 同じ言葉を返されて、ラジウムは案外あっさりと折れた。寝返りをうって、木目の浮いた天井を見上げた。 「苦手なの、ああいうの」 包帯を巻いた腕を掲げる。細めた目に浮かんだ感情を、セリオは見ないふりをした。 行き先はわかっている。あの怪我では沙漠など越えられまい。ぶちぶちとラジウムが小言をこぼした、矢先、 「お客だよ」 窓を振り返ったセリオが云った。つられて顔を向けたラジウムが、ええと不満そうな声をあげる。 窓枠に鎮座しているのは、昼の街並みに些か不似合いな黒い翼。ラジウムの反応を軽く無視したセリオが窓を開けてやると、それが当たり前と云うように鴉は室内に滑り込んだ。 「なんで開けちゃうのさ」 「なぜって、おまえのお客だろう?」 「だから取り合いたくないのに」 寝台の淵にとまった鴉を片手で追い払うようにする。 鴉は利口なのだと、誰かが云ったのを思い出したのはその後、何気ない装いで鴉が広げた翼に、ラジウムの指が触れた。 ラジウムの口から嘆く声があがるより早く、変化は訪れた。鴉の輪郭が歪み、羽がほどけて一本の糸から一枚の紙へ。 見ていたセリオが感心したように云った。 「いつ見ても呪術というのは面白いものだね」 反面ラジウムは寝台に突っ伏している。このクソ鳥め、学習機能なんてこれぽちも無い癖に、飛ばした奴の性格でも反映してるんじゃなかろうか。 ともかくやってしまったものは仕様がない。羽を一枚残して消えた式神の札を取り上げる。わざわざ手間をかけてまで時間を惜しむ理由。つい先日ニ往復したばかりだというのに、早々に出頭命令か。確かに厄介ごとは拾ったが、依頼自体は問題なくこなしたのだ。いい加減休ませろと本気で思う。 盗賊符丁で書かれた文字列の流れ。できることなら脳裏から締め出してしまいたいくらいの気分。細く眇めた赤い目が、上からぞんざいにそれを辿っていって、 「ちょっと、出かけてくるよ」 そう云ったラジウムの顔は、セリオが想像していたよりも随分と明るいそれだった。 「いいことでもあったかい」 幾許かの軽い皮肉。それには応えず、ラジウムは跳ねるようにして寝台を下りた。古い木が苦しそうに軋む。 札をポケットに、羽を片手でくるりくるりと弄び、おどけた足取りで扉へ。 「ね、セリ?」 問う声にセリオは首を傾げた。この人懐こい主人が顔を見ないとき。大概相場は決まっている。 「何だい」 「もし、おれが殺されたら。赦せる?」 これだ。意地の悪い主人を持ったものだとよく思う。 ラジウムの細い背中を見ながら、僧侶は笑った。 「赦せるわけは、ないだろう?」 予想外の答えだったのだろう。尖った肩が少し揺れる。わらっている。 「うそつき」 それだけを残して扉は閉まった。まだ、昼前の暖かさを持った風が部屋に吹き込んで、セリオの銀髪をなぶった。 「ばかな子だな」 呟いた。きっとあれは、相手を赦せるかと訊いたのだろうけど。答えなんて知っている癖に。意地悪には仕返しをするものだ。 「赦せるわけが、ないだろう?」 あれを本当の意味で殺すのは、きっと自分たちだから。 大事にするだけしておいて、大事にされるのには慣れていないなんて。 不憫な猫たちだと、セリオは思う。そしてそれを育てた場所も。 所詮、誰もが残された者の気持ちなど知らないのだと、僧侶は小さく十字を切った。 【やさしくしないで】05.0622.23:46 一人で死ぬなら赦すだろう。でも、猫を殺すのは、多分仲間という存在。 だから僧侶は赦せない。ずっと一緒に居たいから。 命の比重は皆一緒であると、思うから。 アサシンという職業を、不憫だと思う理由。
by shelldoney
| 2005-06-22 23:53
| 小説「出会い系」:完結済
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