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出会い系9

 月詩が姿を消しても、ラジウムは追わなかった。
「せっかく治療したのに」
 そう云ったのはセリオだ。部屋を追い出された挙句、布団まで台無しにされ、大損だ。
「どの道、見過ごせないんでしょ」
 散らばった綿を集めて袋に詰めながら、ラジウムは笑っている。
 扉の脇にもたれたセリオも、肩を揺らして笑った。
 あらかた床を綺麗にしてしまって、ラジウムは大きく伸びをした。自分でやったこととはいえ、屈みっぱなしは些かつらい。
 子供がするように寝台に倒れこむ後ろで、
「それで、行き先の見当はついているのかい」
「なんのこと?」
「嘘つきはよくないな、マスター?」
 セリオが脇に腰かけると、駄々をこねる猫のように僧衣にじゃれつく。
「苦手なの、ああいうの」
「どの道、見過ごせないんだろう?」
 同じ言葉を返されて、ラジウムは案外あっさりと折れた。寝返りをうって、木目の浮いた天井を見上げた。
「苦手なの、ああいうの」
 包帯を巻いた腕を掲げる。細めた目に浮かんだ感情を、セリオは見ないふりをした。
 行き先はわかっている。あの怪我では沙漠など越えられまい。ぶちぶちとラジウムが小言をこぼした、矢先、
「お客だよ」
 窓を振り返ったセリオが云った。つられて顔を向けたラジウムが、ええと不満そうな声をあげる。
 窓枠に鎮座しているのは、昼の街並みに些か不似合いな黒い翼。ラジウムの反応を軽く無視したセリオが窓を開けてやると、それが当たり前と云うように鴉は室内に滑り込んだ。
「なんで開けちゃうのさ」
「なぜって、おまえのお客だろう?」
「だから取り合いたくないのに」
 寝台の淵にとまった鴉を片手で追い払うようにする。
 鴉は利口なのだと、誰かが云ったのを思い出したのはその後、何気ない装いで鴉が広げた翼に、ラジウムの指が触れた。
 ラジウムの口から嘆く声があがるより早く、変化は訪れた。鴉の輪郭が歪み、羽がほどけて一本の糸から一枚の紙へ。
 見ていたセリオが感心したように云った。
「いつ見ても呪術というのは面白いものだね」
 反面ラジウムは寝台に突っ伏している。このクソ鳥め、学習機能なんてこれぽちも無い癖に、飛ばした奴の性格でも反映してるんじゃなかろうか。
 ともかくやってしまったものは仕様がない。羽を一枚残して消えた式神の札を取り上げる。わざわざ手間をかけてまで時間を惜しむ理由。つい先日ニ往復したばかりだというのに、早々に出頭命令か。確かに厄介ごとは拾ったが、依頼自体は問題なくこなしたのだ。いい加減休ませろと本気で思う。
 盗賊符丁で書かれた文字列の流れ。できることなら脳裏から締め出してしまいたいくらいの気分。細く眇めた赤い目が、上からぞんざいにそれを辿っていって、
「ちょっと、出かけてくるよ」
 そう云ったラジウムの顔は、セリオが想像していたよりも随分と明るいそれだった。
「いいことでもあったかい」
 幾許かの軽い皮肉。それには応えず、ラジウムは跳ねるようにして寝台を下りた。古い木が苦しそうに軋む。
 札をポケットに、羽を片手でくるりくるりと弄び、おどけた足取りで扉へ。
「ね、セリ?」
 問う声にセリオは首を傾げた。この人懐こい主人が顔を見ないとき。大概相場は決まっている。
「何だい」
「もし、おれが殺されたら。赦せる?」
 これだ。意地の悪い主人を持ったものだとよく思う。
 ラジウムの細い背中を見ながら、僧侶は笑った。
「赦せるわけは、ないだろう?」
 予想外の答えだったのだろう。尖った肩が少し揺れる。わらっている。
「うそつき」
 それだけを残して扉は閉まった。まだ、昼前の暖かさを持った風が部屋に吹き込んで、セリオの銀髪をなぶった。
「ばかな子だな」
 呟いた。きっとあれは、相手を赦せるかと訊いたのだろうけど。答えなんて知っている癖に。意地悪には仕返しをするものだ。
「赦せるわけが、ないだろう?」
 あれを本当の意味で殺すのは、きっと自分たちだから。
 大事にするだけしておいて、大事にされるのには慣れていないなんて。
 不憫な猫たちだと、セリオは思う。そしてそれを育てた場所も。
 所詮、誰もが残された者の気持ちなど知らないのだと、僧侶は小さく十字を切った。



【やさしくしないで】05.0622.23:46
一人で死ぬなら赦すだろう。でも、猫を殺すのは、多分仲間という存在。
だから僧侶は赦せない。ずっと一緒に居たいから。
命の比重は皆一緒であると、思うから。
アサシンという職業を、不憫だと思う理由。
by shelldoney | 2005-06-22 23:53 | 小説「出会い系」:完結済
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