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出会い系8

 あのときは、確かに生きたいと思った。
 死にたくないと。
 そう思ったはずなのだ。
 だが生き残った先にあったのは、留まることなど知らぬ死の連続と、そのたびに脳裏をちらつく夕焼色の髪と、金の眼、甘い声。そして死にたくないと醜く足掻いた自分。
 嫌悪ではない。これは、憎悪だ。
 彼女は俺に何を教えたかったのだろう。
 消えるべきはどちらだったのだろう。
 傷が痛む。左目に残る彼女の爪痕。腹を刺す彼女の幻影。
 ──いっそ、
「起きた?」
 かけられた明るい声に、熱を持った思考が焼き切れた。
 心臓の拍動が早鐘を打つ。ひりつくように咽喉が嗄れていた。じっとりと厭な汗が手ににじむ。見透かされたような気がして、月詩はその声を無視した。下らない問いかけをした奴は、気付いているのかいないのか、一方的な会話を続けている。
「安静にしてればもうすぐ起きられると思うよ」
「林檎むいたんだ。食べる?」
「包帯もとりかえないとね」
 ひどく、凶暴な気分だ。暴走しかけた意識の余韻か、傷の熱が残っているだけなのかもしれない。
 だから、熱を測ろうと額に触れてきた冷たい手を、手荒く振り払った。
「……猫」
 言葉に、ラジウムは首をかしげる。なあに、と赤い眼を瞬かせるのを見て、月詩の中で憤りとある種の確信が高まる。
「持っていないのだと、聞いた」
 何をとラジウムが口を開くよりも先に、月詩は続けた。
「非情の心」
 噂に聞いたことがあるくらいだ。証を持っていないアサシンの話。
 ラジウムは、小さく溜め息をついただけだった。
「噂でしょ」
「ならば、貴様の証を見せてみろ」
 下らないとわかっていた。あきれたような返答も態度も予想くらいできた。逢ったときから、わかっていた。
 だからこそ、我慢、ならない。
「貴様のような輩が、アサシンを名乗るなど、俺は、認めない」
 証も持たず、忠誠も誓わず。しあわせそうに。
 大事なものを、失くしてもいない、癖に。
 ひどく、凶暴な気分だ。貴様も同じように苦しめばいいのに。
「殺して、やろうか。──貴様の、仲間とやら、を」
 掠れた声。ラジウムのあきれた表情は崩れない。片手の果物ナイフを手持ち無沙汰、茶色く変色してしまった林檎に突き立てて、呟く声。
「本気で、云ってるの?」
 どうでもよさそうなその声に、一瞬返事を忘れた。
「なら、しょうがないね」
 言葉と衝撃は同時だった。
 自分でもどう動いたのか、よく覚えていない。かろうじて見えたのは、銀色の刃から床に向かって落下してゆく、茶色い林檎。
 転がり落ちるようにして離れた寝台を振り返る。自分の代わりに乗っているのは、赤毛の、小柄な獣だった。
 人間の姿をしているはずなのに、その姿は、肉食のそれによく似ていた。
 右手に握っているのは果物ナイフだ。大して切れ味もよくないそれは、ついさっきまで自分の咽喉があった部分を、鮮やかに切り裂いていた。
 状況を把握すると、簡易催眠では消しきれない痛覚が腹を冒しだした。まだ、傷は開いていない。自分の両足で立つということが、随分久しいような錯覚にすらとらわれる。
 裂かれた布から綿が舞い上がる。白の中に、赤い眼がぎらついた。ゆっくりと月詩を捉えるその赤と、昔見た、ヒュイの影が重なった。
「死にたいんでしょ?」
 猫が、音もなく寝台から飛び降りる。痛みに呼吸を詰まらせながら、月詩は、暗く笑った。
 二秒で決着のつく命なら、無くても同じだとラジウムは思う。
 細い身体に些か大きな部屋着の内側で、常人からは信じられないくらいの力がラジウムの脚に込められ、
「何やってんだ、お前ら」
 それは、放たれることはなかった。耳慣れた響きの、低い声。
「あ、リリィ」
 小さな扉を窮屈そうにくぐる相棒を見やるその眼は、さきほどの獣を思わせるぎらつきなど欠片も残していなくて。人を殺すときの持ち方で果物ナイフを握ったまま、ラジウムは無造作にリリィに近づいた。扉近くに飛びのいた月詩を素通りする。抜き身の刃が洋灯の明かりを跳ね返すたび、月詩の肩が揺れた。
 ラジウムより頭一つも高い黒髪の相棒は、近づいてきた赤毛と見慣れぬ銀髪の青年を交互に見やって、ラジウムの頭を軽く小突いた。
「自分で助けといて、アホかお前」
「だって。リリィたちのこと、殺すって云うんだもん」
「バカか。そう簡単に死ぬかよ」
「ぼうっとしてると、寝首かかれるよ」
 仲間同士の、何気ないやり取りだった。月詩は、ただそれを見ていた。
 仲間など居なかった。たった一つ見つけたものさえ、大事にすることすら、叶わなかった。
 今更、ヒュイの云ったことの意味に気付く。月詩の持っていないものを、ラジウムは凡て持っていたから。
 リリィは、ラジウムを呼びにきたらしかった。一言二言交わして、先に部屋を出ていく。すぐに行くよと背中に声をかけて、ラジウムが肩越しに月詩を振り返った。
「あんた、花唄に育てられたんでしょ」
 何気ない一声に、月詩がはじかれたように顔を上げる。誰もが忘れていく名前。自分が死ぬまで背負って生きていく名前。
 なぜこの男がそれを知っているのか、そんなことは問題ではなくて。
「おれは、腕の悪いアサシンだよ」
 折りたたみの果物ナイフをポケットに突っ込んで。
「ギルドを敵に回しても、怖くないんだもの」
 踵を返す肩の上、短く結った赤髪が揺れる。
「ねえ、向いてないんじゃない?」
 声は、閉じた扉の向こうから聞こえた。



 装束は、血を落として枕元に置いてあった。
 包帯をきつく締める。何事もなかったかのように装束を身に着けて。
 沙漠など比べ物にならない、暖かい夜。猫の爪のような三日月が黒い空に浮かぶ。
 床に落ちた茶色い林檎が目についた。振り払うようにして、窓辺へ。
 闇に身を躍らせる。ともすればまろびそうになる足元。
 傷など痛くなかった。ただ、ここに居たくなかった。
 弱くなるのが怖くて、凡てを持っているあの男が、憎くて。
 あんなにも、あんなにも。
 アサシンの、癖に。



【腕のいいアサシンと悪いアサシンの違い】05.0525.23:33
しょ、消化不良…。
ラジウムは腕の悪いアサシンです。全部持ってるから。
by shelldoney | 2005-05-25 23:39 | 小説「出会い系」:完結済
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