カテゴリ:小説「出会い系」:完結済( 11 )

出会い系 エピローグ

 一人で残ったのには、わけがある。
「ついてないの」
 大した感慨もなさそうに、ラジウムは一人ごちた。城門は暗くかげり、門扉は錆が浮き腐食していた。ありえない話、である。この古城が、いつ滅びたのかを考えれば。
 すこしばかり睥睨しても、城門の居住まいは変わらない。張り詰めすぎて尖り、肌に突き刺さる呼気を吐き出しながら、今でも数多の冒険者を呑み込んでゆく。
 確かについていない。自分もそこらじゅうに散らばる骨のひとつになるかもしれないなどと思うと確かに、ついていない。
 先日の一件、砂嵐を超えて出向いた先、話の最初から最後までことごとく難癖をつけ、ついにヒュイに酒をおごらせた。それだけで満足してしまっていた。話がうますぎると異変に気づいたのは、契約書に血判を押した一時間後だった。当然酔っていた。
 ラジウムは西の最涯てに立っている。かつては栄華をきわめた王国のなれの果て。グラストヘイムと呼ばれる魔の城の。
 本来ならば仲間とくぐるはずだった城門をひとりでくぐる。冷えた空気がひやりと頬を撫でた。
 依頼は「温室の哲学者」に宛てられていた。暗殺者育成所の癖に、なかなか洒落がきいている。
 広すぎる中庭を無造作に目的地へ向かって歩きながら、ラジウムは今朝方のことを思い出した。
 晴れすぎた空だった。こんな日は、大抵いいことが起こらない。
 もちろん予想は現実になった。宿の窓から遠い潮騒が聞こえてくる。海鳥たちの甲高い悲鳴。普段ならそれでも幾分静かであろう時間の街並み。はっきりと聞き取れる怒号、そして遠い爆音。
「首都プロンテラは全外壁を封鎖。ヨツンヘイム批准法第三条第四項該当の第二次武装免責条項発令。駐留中の全戦闘員により敵性目標完全沈黙までの攻性魔法および戦闘行為を許可。──だそうだ」
 優雅にティーカップを傾けながら僧侶が告げた。
「面倒くせえ」
 朝食を邪魔されて、相棒の騎士はいささか不機嫌そうだ。ラジウムは生ぬるく笑った。
 つまりはテロである。空間を歪ませる道具や呪法で街中に魔物を召喚し、襲わせる。最近この手の犯罪が多いのか、ここ数日は首都を包む魔力防壁の青い光がイズルードからでもよく見えた。
 狭いテーブルに集ったのはラジウムと、六枚目の皿に手を伸ばす相棒のタイガーリリィ、そして珍しくも盛大に寝坊してミサをすっぽかしたセリオのみだった。
 神の家で祈ることが凡てじゃあない、など嘯きながら僧侶は紅茶を飲んでいる。その間にも支度を整えた祭り好きの冒険者たちが、他の僧侶の魔法で次々とプロンテラへ送り込まれてゆく。
 相棒の弟をはじめ、他の仲間は首都を拠点にすることが多かったせいか、今頃は戦力として駆り出されているに違いなかった。やたらと律儀な相棒の弟が連絡のひとつもよこさないのを見ると、どうやらそれは確実で、予想以上に大規模な戦闘になっているらしい。
 そしてプロンテラ騎士団に名を連ねる相棒と、大聖堂に席を置く僧侶には、出向を断る理由が、今のところ優先順位において無い。
「歩けるうちがしあわせ。だがまあ、この場合は仕様が無いか」
 つぶやいて僧侶が立った。きっかり紅茶の分だけ硬貨を置くと、杖を片手に宿を出る。残された二人は慌てなかった。方陣を描くのには少々の時間が要る。
 遅れて続いた二人の前で、僧侶は杖で石畳をなぞっていた。こめられた魔力が白く不安定な光となって陽炎のように立ち上る。
「ラジウム」
 唐突すぎて返事をするのが二秒遅れた。この細いテノールが自分を名で呼ぶことは滅多にない。
「本当に、よかったのかい」
 僧侶は背を向けている。いつもどおりの声。
 どいつもこいつもうそつきだなあと、ラジウムは思う。
「大丈夫だよ」
「そうか」
 明るい声を、セリオは問い詰めなかった。代わりに僧衣の懐から取り出した青い石に口吻けて祝福し、方陣の上へ無造作に叩きつける。方陣の光が増して、向こうの景色が透けて見えた。
 相棒が熊のような手でラジウムの肩を軽く叩いた。そのまま方陣に足を進める。白い光に消える巨躯の、ひらりと振られた片手が最後に見えた。
 外壁の閉ざされたプロンテラに入るには、この転送方陣を使うしかないのだが、空間同士をつぎはぎすれば、いずれどこかに歪みができる。それが理由かは知らないが、セリオは滅多にこの方陣を描くことはなかった。
 空間を繋いでいられる時間はそう長くはない。小さな媒介ひとつではほんの数秒が限界だ。セリオは迷わなかった。振り返らずに方陣の上に立つ。
 薄れた魔力が足元に集中し、黒い僧衣を一瞬だけ白く染め上げて、水滴が弾けるように方陣は余韻も残さずほどけて消えた。
 少しの間を置いて、ラジウムは短く吐息した。
 依頼を受けてからはや一ヶ月近く。ラジウムは何もしなかった。幸い仲間も大きな仕事を抱えてはおらず、この依頼を優先させてくれるという話だった。
 そして契約履行期限の直前になってようやっと。ラジウムは出立の予定日を仲間に話したのだ。怪訝な顔をする者はいたが、異論を唱える者は居なかった。温哲の半分はフィーリングでできている。
 その出立の朝が、これだ。もはや溜息も出ない。
 罵りたいのは別に居た。どうせ今頃冷たい椅子で書面とにらめっこしているあいつ。平和ボケした不和の象徴。
 浮かぶ笑みを思ってラジウムは歯軋りした。
 下手な餞別。依頼する気はもちろん、依頼するものなんて無い癖に。
「ほんと、ついてないの」
 自分の声で、現実に引き戻される。目の前で開いた扉が、どうも自分を喰いたがる魔物の口に見える錯覚。
「さて、と。行こうかな。のんびり西回り。二階は南から西に、北へ」
 一人で残ったのには、わけがある。
 履行期限ぎりぎりまで待ったのにも、わけがある。
 ひとりでは通れない路を選んだのにも、わけがある。
 ラジウムがもたもたしているうちに、首都の鎮圧は終わっているだろう。
 集まった仲間は、旅支度を済ませていただろう。
 そして彼も。
 見知った気配がついてきているのを、ラジウムは知っていた。
 踏み出す。人気の無い回廊に緊張が走り、闇の向こうで魔物の息づかいが聞こえた気がした。
 腰裏に手をやる。自分の短剣を抜き放つ。冴えた鞘走りが不透明な瘴気を切り裂いた。
 剣帯には、短剣が三本、挿さっている。
 襲い来る金属鎧の一撃を半身で受け流す。鎧の隙間に刃を滑り込ませながら、どう云ってこれを返したものかと考えて、ラジウムはすこし悩んだ。


 暁に向かって、その先を目指して走る人影がある。
 月詩は問うた。
「お前なら、どうする」
 彼を背負ったラジウムは答えた。
「誰も後悔しないように、するよ」
 深海の青を残した緑の眼がすこしだけ驚いて、すぐ、暁のまぶしさに細められた。
 いつか答えが見つかるだろうか。
 月詩はちいさくちいさく、笑ったようだった。


【ファイナルアンサー】06.0406.PM12:40
苦節一年と半年。
ようやく終わった。
時間がたちすぎていろいろな価値観が変化しましたが、楽しく書けたので。
お付き合いありがとうございました。
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by shelldoney | 2006-04-06 12:41 | 小説「出会い系」:完結済

出会い系10

 不思議と、落ち着いていた。
「赦されたいの?」
 そう、彼女は云った。三日月の下で見る夕焼色は、赤みを増して血の色に見えた。
 月詩は笑いさえした。
 赦されたいと思ったことなどない。自分はいつまでも彼女の名と、罰を背負って生きていくのだから。
 嘘だった。
 あのときは、確かに生きたいと思った。
 でも今は。
 いっそ、一緒に逝けたならと。そうしたら、安らげたような気がする。こんな風に苦しむこともなく。
 赦されたいのだと、思う。
 砂まじりの乾いた風が、互いの髪をなぶる。もう立っていられない月詩の足を、うっすらと砂が埋めてゆく。
 涸れかけたオアシスだった。遠くないうちに風が運ぶ砂が水を奪い、ゆるやかに沙漠の一部になってゆくのだろう。
 月詩は枯木の根元にもたれ、足を投げ出している。
 腹を押さえる手がなまぬるく、じっとりと濡れて、鼓動がやけに大きく感じられた。
 傷が開きかけているとぼんやり思う。痛みに慣れすぎてしまった体が、脳内麻薬で痛覚を消してゆく。
 もう一度、彼女を見上げた。あのときと同じ、夕焼色の髪、金色の眼。細くしなやかな身体を包む、アサシンの衣装。
 彼女は死んだのだ。自分が殺した。
 心のどこかで冷静に考える自分が居る。死者は生き返ったりはしないものだ。ならば、やはり自分は死んだのだろうか。沙漠に沈む一粒の塵のように。
 何もかも、どうでもよかった。
「どう、して」
 逝ってしまったのだという問いかけは、ひどく愚かであるように思えた。アサシンになるために差し出した代償。
 尻切れて迷った言葉に、返事があった。
「悔いていたわ。あなたに凡て負わせたことを」
 それは、ふわふわと実体を持たず月詩に降り注いだ。
 聞き慣れた声が語る過去の話。一言一句が空白だった心に染みを作った。
「あのとき、既に私はアサシンではなかったのかもね」
 目をそらさず、どういうことだと問う咽喉からは、掠れた音が洩れただけだった。
 彼女は少しためらって、
「月詩」
 それは痛みを伴う。彼女がつけた、彼のためだけの証。
 ゆっくりと、彼女は背を向ける。沈みかけた三日月。
 夕焼色の髪が透けて、暁を思わせた。
「──もう、迷わないで」
 肩越しに一度だけ振り返った彼女は、笑っているように見えた。
 それが、最後だった。


「もういいの?」
 ふいに聞こえた声に、彼女は振り返った。赤毛のアサシンはいつも通り無造作に近寄って、月詩の傍に膝を落とした。
 まったく、どこまでも無茶をしてくれる。失血で体温は下がり、顔は死人のように青白い。痛みで意識を刈り取られるまで、何をこんなに堪えたものか。
「ね、花唄」
「噂ほど利口ではないようね」
「まさか」
 月詩を担ぎ上げながら、ラジウムは笑った。
「ねえ」
 問いかけても、彼女は振り返らなかった。構わなかったから、そのまま訊いた。
「どうして殺さなかったの?」
「アサシン同士の私闘は厳禁と、教わらなかったかしら」
「試験途中に生死は問わないとも、教わったけど」
 ようやく、夕焼の髪が揺れた。金色の目に見つめられてラジウムは満足そうになる。
「姉さんが、そう云ったから」
 力なくラジウムに背負われた青白い顔を見る。
「殺してもよかったけれど。──姉さんをもう悲しませたくないの」
 だから、あれで我慢してあげる。そう云ってアサシンが笑う。あのひとの妹でも、だからこそこんな笑みができるものかと、ラジウムは思った。
「やっぱり、ヒュイは人選ミスしたね」
「そうかしら」
「うん。おれよりずっと、悪趣味だ」
 暁が青い沙漠を白く染めてゆく。時が経てば焦がすほどの熱を持つそれに、ラジウムは懐かしい顔を見た。
「これを」
 差し出された布包みを月詩を背負いなおしながら片手で受け取る。手に馴染む鉄の重み。
「返していいの? 形見でしょ」
「アサシンは生きた証を遺さないものよ。それに、」
 もらったのは、私じゃないもの。
 曖昧に笑って彼女は暁に砂色の外套を翻す。砂に咲いた花のような赤が見る間に同化して。
「猫」
 布包みを腰帯にはさみながら顔を上げる。彼女は笑っている。
「飼い主を間違えては、居ないわね?」
 またその話か。ラジウムは肩をすくめる。体のいい厭がらせ。
「飼い主なんて居ないよ。おれは野良だもの」
「あらそう。近いうち、今度はあの騎士の格好であなたの前に立つのを楽しみにしていたのに」
 あは、とラジウムは笑ってみせる。
「大丈夫だよ。目はいいんだ」
「口の減らない猫」
 ざ、と砂が舞い上がる。反射的にラジウムは目を閉じて、それを開いたときには、涸れかけたオアシスに二人。
 ラジウムは砂を蹴る。前にも似たようなことがあったと、苦笑いがにじむ。今は背中の悪態は聞こえないが、弱々しく、自分とは違うリズムで打つ心臓の鼓動が、ラジウムを少し安心させた。
 今日こそヒュイに埋め合わせをしてもらおうと、太陽の向こうの砂嵐を目指す。



【種明かし】05.1102.AM3:46
いい加減放置すぎなので。そして10で終わらなかったアアアアアア。
次で終わりです。次こそ、エピローグ。
月詩をぶっ刺したのは、花唄の妹(名前未定)であり。
定期的に駒の忠誠を確かめる仕事などしているようです。そのへんは大雑把。
しかし書き始めてから既に一年過ぎたな…。長すぎだろ私。
あと一回、お付き合い下さい。
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by shelldoney | 2005-11-02 03:49 | 小説「出会い系」:完結済

出会い系9

 月詩が姿を消しても、ラジウムは追わなかった。
「せっかく治療したのに」
 そう云ったのはセリオだ。部屋を追い出された挙句、布団まで台無しにされ、大損だ。
「どの道、見過ごせないんでしょ」
 散らばった綿を集めて袋に詰めながら、ラジウムは笑っている。
 扉の脇にもたれたセリオも、肩を揺らして笑った。
 あらかた床を綺麗にしてしまって、ラジウムは大きく伸びをした。自分でやったこととはいえ、屈みっぱなしは些かつらい。
 子供がするように寝台に倒れこむ後ろで、
「それで、行き先の見当はついているのかい」
「なんのこと?」
「嘘つきはよくないな、マスター?」
 セリオが脇に腰かけると、駄々をこねる猫のように僧衣にじゃれつく。
「苦手なの、ああいうの」
「どの道、見過ごせないんだろう?」
 同じ言葉を返されて、ラジウムは案外あっさりと折れた。寝返りをうって、木目の浮いた天井を見上げた。
「苦手なの、ああいうの」
 包帯を巻いた腕を掲げる。細めた目に浮かんだ感情を、セリオは見ないふりをした。
 行き先はわかっている。あの怪我では沙漠など越えられまい。ぶちぶちとラジウムが小言をこぼした、矢先、
「お客だよ」
 窓を振り返ったセリオが云った。つられて顔を向けたラジウムが、ええと不満そうな声をあげる。
 窓枠に鎮座しているのは、昼の街並みに些か不似合いな黒い翼。ラジウムの反応を軽く無視したセリオが窓を開けてやると、それが当たり前と云うように鴉は室内に滑り込んだ。
「なんで開けちゃうのさ」
「なぜって、おまえのお客だろう?」
「だから取り合いたくないのに」
 寝台の淵にとまった鴉を片手で追い払うようにする。
 鴉は利口なのだと、誰かが云ったのを思い出したのはその後、何気ない装いで鴉が広げた翼に、ラジウムの指が触れた。
 ラジウムの口から嘆く声があがるより早く、変化は訪れた。鴉の輪郭が歪み、羽がほどけて一本の糸から一枚の紙へ。
 見ていたセリオが感心したように云った。
「いつ見ても呪術というのは面白いものだね」
 反面ラジウムは寝台に突っ伏している。このクソ鳥め、学習機能なんてこれぽちも無い癖に、飛ばした奴の性格でも反映してるんじゃなかろうか。
 ともかくやってしまったものは仕様がない。羽を一枚残して消えた式神の札を取り上げる。わざわざ手間をかけてまで時間を惜しむ理由。つい先日ニ往復したばかりだというのに、早々に出頭命令か。確かに厄介ごとは拾ったが、依頼自体は問題なくこなしたのだ。いい加減休ませろと本気で思う。
 盗賊符丁で書かれた文字列の流れ。できることなら脳裏から締め出してしまいたいくらいの気分。細く眇めた赤い目が、上からぞんざいにそれを辿っていって、
「ちょっと、出かけてくるよ」
 そう云ったラジウムの顔は、セリオが想像していたよりも随分と明るいそれだった。
「いいことでもあったかい」
 幾許かの軽い皮肉。それには応えず、ラジウムは跳ねるようにして寝台を下りた。古い木が苦しそうに軋む。
 札をポケットに、羽を片手でくるりくるりと弄び、おどけた足取りで扉へ。
「ね、セリ?」
 問う声にセリオは首を傾げた。この人懐こい主人が顔を見ないとき。大概相場は決まっている。
「何だい」
「もし、おれが殺されたら。赦せる?」
 これだ。意地の悪い主人を持ったものだとよく思う。
 ラジウムの細い背中を見ながら、僧侶は笑った。
「赦せるわけは、ないだろう?」
 予想外の答えだったのだろう。尖った肩が少し揺れる。わらっている。
「うそつき」
 それだけを残して扉は閉まった。まだ、昼前の暖かさを持った風が部屋に吹き込んで、セリオの銀髪をなぶった。
「ばかな子だな」
 呟いた。きっとあれは、相手を赦せるかと訊いたのだろうけど。答えなんて知っている癖に。意地悪には仕返しをするものだ。
「赦せるわけが、ないだろう?」
 あれを本当の意味で殺すのは、きっと自分たちだから。
 大事にするだけしておいて、大事にされるのには慣れていないなんて。
 不憫な猫たちだと、セリオは思う。そしてそれを育てた場所も。
 所詮、誰もが残された者の気持ちなど知らないのだと、僧侶は小さく十字を切った。



【やさしくしないで】05.0622.23:46
一人で死ぬなら赦すだろう。でも、猫を殺すのは、多分仲間という存在。
だから僧侶は赦せない。ずっと一緒に居たいから。
命の比重は皆一緒であると、思うから。
アサシンという職業を、不憫だと思う理由。
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by shelldoney | 2005-06-22 23:53 | 小説「出会い系」:完結済

出会い系8

 あのときは、確かに生きたいと思った。
 死にたくないと。
 そう思ったはずなのだ。
 だが生き残った先にあったのは、留まることなど知らぬ死の連続と、そのたびに脳裏をちらつく夕焼色の髪と、金の眼、甘い声。そして死にたくないと醜く足掻いた自分。
 嫌悪ではない。これは、憎悪だ。
 彼女は俺に何を教えたかったのだろう。
 消えるべきはどちらだったのだろう。
 傷が痛む。左目に残る彼女の爪痕。腹を刺す彼女の幻影。
 ──いっそ、
「起きた?」
 かけられた明るい声に、熱を持った思考が焼き切れた。
 心臓の拍動が早鐘を打つ。ひりつくように咽喉が嗄れていた。じっとりと厭な汗が手ににじむ。見透かされたような気がして、月詩はその声を無視した。下らない問いかけをした奴は、気付いているのかいないのか、一方的な会話を続けている。
「安静にしてればもうすぐ起きられると思うよ」
「林檎むいたんだ。食べる?」
「包帯もとりかえないとね」
 ひどく、凶暴な気分だ。暴走しかけた意識の余韻か、傷の熱が残っているだけなのかもしれない。
 だから、熱を測ろうと額に触れてきた冷たい手を、手荒く振り払った。
「……猫」
 言葉に、ラジウムは首をかしげる。なあに、と赤い眼を瞬かせるのを見て、月詩の中で憤りとある種の確信が高まる。
「持っていないのだと、聞いた」
 何をとラジウムが口を開くよりも先に、月詩は続けた。
「非情の心」
 噂に聞いたことがあるくらいだ。証を持っていないアサシンの話。
 ラジウムは、小さく溜め息をついただけだった。
「噂でしょ」
「ならば、貴様の証を見せてみろ」
 下らないとわかっていた。あきれたような返答も態度も予想くらいできた。逢ったときから、わかっていた。
 だからこそ、我慢、ならない。
「貴様のような輩が、アサシンを名乗るなど、俺は、認めない」
 証も持たず、忠誠も誓わず。しあわせそうに。
 大事なものを、失くしてもいない、癖に。
 ひどく、凶暴な気分だ。貴様も同じように苦しめばいいのに。
「殺して、やろうか。──貴様の、仲間とやら、を」
 掠れた声。ラジウムのあきれた表情は崩れない。片手の果物ナイフを手持ち無沙汰、茶色く変色してしまった林檎に突き立てて、呟く声。
「本気で、云ってるの?」
 どうでもよさそうなその声に、一瞬返事を忘れた。
「なら、しょうがないね」
 言葉と衝撃は同時だった。
 自分でもどう動いたのか、よく覚えていない。かろうじて見えたのは、銀色の刃から床に向かって落下してゆく、茶色い林檎。
 転がり落ちるようにして離れた寝台を振り返る。自分の代わりに乗っているのは、赤毛の、小柄な獣だった。
 人間の姿をしているはずなのに、その姿は、肉食のそれによく似ていた。
 右手に握っているのは果物ナイフだ。大して切れ味もよくないそれは、ついさっきまで自分の咽喉があった部分を、鮮やかに切り裂いていた。
 状況を把握すると、簡易催眠では消しきれない痛覚が腹を冒しだした。まだ、傷は開いていない。自分の両足で立つということが、随分久しいような錯覚にすらとらわれる。
 裂かれた布から綿が舞い上がる。白の中に、赤い眼がぎらついた。ゆっくりと月詩を捉えるその赤と、昔見た、ヒュイの影が重なった。
「死にたいんでしょ?」
 猫が、音もなく寝台から飛び降りる。痛みに呼吸を詰まらせながら、月詩は、暗く笑った。
 二秒で決着のつく命なら、無くても同じだとラジウムは思う。
 細い身体に些か大きな部屋着の内側で、常人からは信じられないくらいの力がラジウムの脚に込められ、
「何やってんだ、お前ら」
 それは、放たれることはなかった。耳慣れた響きの、低い声。
「あ、リリィ」
 小さな扉を窮屈そうにくぐる相棒を見やるその眼は、さきほどの獣を思わせるぎらつきなど欠片も残していなくて。人を殺すときの持ち方で果物ナイフを握ったまま、ラジウムは無造作にリリィに近づいた。扉近くに飛びのいた月詩を素通りする。抜き身の刃が洋灯の明かりを跳ね返すたび、月詩の肩が揺れた。
 ラジウムより頭一つも高い黒髪の相棒は、近づいてきた赤毛と見慣れぬ銀髪の青年を交互に見やって、ラジウムの頭を軽く小突いた。
「自分で助けといて、アホかお前」
「だって。リリィたちのこと、殺すって云うんだもん」
「バカか。そう簡単に死ぬかよ」
「ぼうっとしてると、寝首かかれるよ」
 仲間同士の、何気ないやり取りだった。月詩は、ただそれを見ていた。
 仲間など居なかった。たった一つ見つけたものさえ、大事にすることすら、叶わなかった。
 今更、ヒュイの云ったことの意味に気付く。月詩の持っていないものを、ラジウムは凡て持っていたから。
 リリィは、ラジウムを呼びにきたらしかった。一言二言交わして、先に部屋を出ていく。すぐに行くよと背中に声をかけて、ラジウムが肩越しに月詩を振り返った。
「あんた、花唄に育てられたんでしょ」
 何気ない一声に、月詩がはじかれたように顔を上げる。誰もが忘れていく名前。自分が死ぬまで背負って生きていく名前。
 なぜこの男がそれを知っているのか、そんなことは問題ではなくて。
「おれは、腕の悪いアサシンだよ」
 折りたたみの果物ナイフをポケットに突っ込んで。
「ギルドを敵に回しても、怖くないんだもの」
 踵を返す肩の上、短く結った赤髪が揺れる。
「ねえ、向いてないんじゃない?」
 声は、閉じた扉の向こうから聞こえた。



 装束は、血を落として枕元に置いてあった。
 包帯をきつく締める。何事もなかったかのように装束を身に着けて。
 沙漠など比べ物にならない、暖かい夜。猫の爪のような三日月が黒い空に浮かぶ。
 床に落ちた茶色い林檎が目についた。振り払うようにして、窓辺へ。
 闇に身を躍らせる。ともすればまろびそうになる足元。
 傷など痛くなかった。ただ、ここに居たくなかった。
 弱くなるのが怖くて、凡てを持っているあの男が、憎くて。
 あんなにも、あんなにも。
 アサシンの、癖に。



【腕のいいアサシンと悪いアサシンの違い】05.0525.23:33
しょ、消化不良…。
ラジウムは腕の悪いアサシンです。全部持ってるから。
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by shelldoney | 2005-05-25 23:39 | 小説「出会い系」:完結済

出会い系7

 夕刻、身支度を整えたラジウムが階段を下りていくと、カウンタの隅に疲れた顔の相棒を見つけた。
 首都近くの衛星都市ならでは、冒険者を主な客とする安さだけが自慢の宿は、大抵が一階部分を酒場として使っている。ラジウムたちの定宿もその一つで、店内は荒くれ者でごったがえしていた。
 するりと合間を縫って近づく。隣のスツールにちょこんと腰かけると、ぷんと酒臭い。どうやらもう相当空けている。
「出かけんのか」
 ラジウムの格好を見たリリィがほろ酔いの赤ら顔で問うた。装束に身を固め、上衣を羽織ったその姿は、どこから見ても旅支度だ。
「尻拭いにね」
 短く云った。詳しくは語らなかったが、リリィにはそれで充分だったようだ。伊達に相棒はしていないということか。脇に置いた布包みを差し出してきた。小首を傾げたラジウムが受け取って中身を確かめる。出てきたのは屋敷に置いてきた自分の短剣だった。赤い目が輝く。
「ありがと。……もう一本なかった?」
 月詩のものだ。リリィが自分のものだけを見分けられるとは思えない。リリィは杯に残った酒をぐいと呷って、酒臭い息を吐いた。
「やっこさんが持ってったぜ」
 奴さん、というのはあの女騎士のことだろう。ふうんと気がなさげに返事をして、ラジウムは遠くを見ている。
「リリィの仕事はもうおしまいだよね?」
 唐突に訊いた。肯定の返答をもらうと、猫の赤い目がゆっくりと相棒で焦点を結んだ。
 床に足の届かないスツールから軽く跳ねるように下りると、ラジウムは短剣を腰裏の空鞘に収めた。
「よかった。おれも選ぶ羽目になるところだったから」
 リリィが怪訝そうな顔になる。酔った頭ではそう考えが回らないらしい。黒い目ににじむ疑問に答えず、ラジウムは扉へ踵を向けた。
「行ってくるね」
 声をかける間もなく、細身は人ごみにまぎれる。
 そうしてすぐに、喧騒がその残り香を消し去った。


 ヒュイは与えられた一室で書類の整理に追われていた。とはいってもその目は文字の上を流れているだけで、内容を読み解いてはいない。どうせ確認するまでもないものだし、何より別に暇つぶしができた。
「何しに来た?」
「報告書の提出」
 虚空に投げ出した言葉に返事があった。柱の影の暗がりから、赤毛が覘く。
 ラジウムは無造作に明るみに出て、ヒュイの机に近づいた。他の書類の上から構わず『報告書』を置く。布越しに赤が染み出して、羊皮紙を汚した。ヒュイは一つ鼻を鳴らしただけで応え、傍らの革袋を投げてよこした。
 さして重さはない。慣れた者なら一人で充分な仕事。
「まだやってるの?」
「どこぞの猫が邪魔してくれたおかげでな」
「冗談」
 云ってラジウムは肩をすくめる。下手な嘘。邪魔したいのは書類整理なんかじゃなくて、きっとヒュイだってわかっているはずなのに。
 血の染みが羊皮紙全体に広がって、木の机を黒く濡らしている。狭くない部屋を満たしてゆく鉄の匂い。天窓の向こうは暗く沈んだ星のない夜。洋灯のきつい陰影。
「いつまで、続けるつもり?」
 何でもないような声をして、ラジウムの赤い目は幾分か細まっているように見えた。ヒュイの灰色のそれを見る。はぐらかすなんて赦さない。
 先に折れたのはヒュイだった。何なりと云って黙らせるのはたやすい。相手が誰であろうと、ヒュイが弱味を見せることなどない。ラジウムが何の力も無いことを知って、そうして望んだ真実を与えてやる。何も変わらない、事実を告げる。
 サドめ。小さく毒づくラジウムの口唇に暗い笑みがにじむ。
「永遠にだ」
 ダガーが飛んでくるのは、予想できた。
 受け止めた指が少し切れたのは、刃の軌道が予想よりもわずかに乱れていたからだ。投げ捨てたダガーは、石の床で軽い音を立てた。
 わざとらしく、椅子に座ったままで、ヒュイはラジウムを睥睨する。
「誰がお前に凡てを教えたと思ってる?」
 わかっていて、それでも投げた。そういう顔だった。
「育ててやった恩を忘れたか?」
「忘れないよ。でも、これは別」
 ラジウムは机のすぐ前に立っている。痩せて尖った肩が少し揺れている。
 命を大事にしろと云うのではない。尊さを主張するのではない。ただ、赦せないだけ。
 アサシンは望んでなる職業ではない。皆何かと引き換えに、何かを引きずって、その装束をまとう。ただ闘うだけならばまだいい。アサシンギルドのもう一つの顔は。
 桁違いの制約とリスクを負う彼らは、皆証を持っている。本当の意味でのアサシンのしるし。人を殺める腕を持つ者の烙印。ギルドへの忠誠の証。身も心も道具として生きる者の証。非情の心。
 それを手に入れるため、一つの試練が課せられる。
 内容は簡単だ。ただ、生き残ればいい。
 新人に技術を教えるのは、任務に失敗したアサシンであることが多かった。心に身体に傷を負い、前線を退きながら、道具として生きる彼らには焦がれるほど還りたい場所へ戻れる唯一の道。
 その上を行くことができたなら、新人はギルドに迎えられ、新たなアサシンとして名を連ねることになる。
 生き残るということは、相手を殺すということだ。
 ラジウムは、証を持っていない。必要なかったのだ。何事にもイレギュラーというのは存在する。
 だが、あくまでそれは例外であり、アサシンギルドの常識は血塗れた赤い手の連鎖にある。
 おこがましいと云うだろう。証も持たず、忠誠も誓わず、ただ生業としてアサシンを名乗るなど。
 月詩は、死ぬほどそれを嫌うだろう。自らの手を染め、証を手に入れたアサシンは。
「あのこ、うちで引き取るよ」
「無駄だ。あれはここ以外属せん」
「抜き打ちテストに不合格の出来損ないが、ギルドの役に立つって云うの?」
 月詩は気付いたろうか。自分が試されたことに。
 悪趣味だと、ラジウムは思う。一人で充分な仕事に同行させたのは、そういうこと。監視だったら別に自分でなくてもよかった。ラジウムがその制度を嫌っているとわかった上で。
 出来損ないなんて嘘。アサシンとして優秀である必要などない。たとえ本人がそう望んでいなくても。
 ラジウムは机に手をついて、ヒュイのほうへ身を乗り出す。猫の目はぎらぎらしている。ヒュイは動じない。
「珍しいね、人選ミス?」
 そう云って、わらう。明らかな挑発。
「ねえ、ゲームしよっか」
 息がかかる距離。瞳孔の細い、赤い瞳。
「誰が一番悪いのか当てるゲーム」
 瞬間、ラジウムは後ろに飛びのいた。笑いながら首を押さえる。ぬるりと生ぬるい血が触れた。
 後ろのレンガ壁に、ダガーが刺さっている。さっきラジウムが投げ、床に落ちたそれだ。ヒュイが舌打ちをした。急所を狙って投げた。誰かに刺されて死ねばいいのに。
 ステップを踏むように数歩さがり、ラジウムは壁からダガーを抜いた。手の中でもてあそびながら、小首を傾げてわらう。
「本気にした?」
 ダガーは腰裏に消えた。いつも通りの軽い声で。
 猫は踵を向ける。足音を残さず、匂いも残さず。
「つまんないの」
 短い言葉だけを落として、細い姿は同じよう細い通路に消えた。その背を一瞥し、もう一度ヒュイは鼻を鳴らした。
 書類が台無しだ。処理もしないで持ってきて、こちらの手間も考えろというもの。
 椅子に凭れて、指を見る。ぱっくりと割れた皮膚の下から赤い血と白い肉が見えた。鼻が麻痺して鉄の匂いがわからない。平和ボケしたなとつぶやく。
 甘く快適な湯船に、慣れてしまったのだと思う。
 あの猫は、それを知っていた。
 あの猫は、だから怒っていた。
 見上げた天窓の向こうは、青みがかっている。
 ヒュイは細い目を眇めて、吐き捨てた。
「化け猫め」



【親子喧嘩】050422.PM4:10
がっつり間空いた…。
物騒な親子喧嘩です。血繋がってるわけないけどさ。
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by shelldoney | 2005-04-22 16:15 | 小説「出会い系」:完結済

出会い系6

 寝入りばなを起こされた僧侶は、銀の髪に手櫛をいれるのと僧衣を羽織るという動作を同時に行いながら、明け方の闖入者にスラングで祈りを垂れた。
「嘆かわしいな。たまには人並みの生活くらいさせてくれ」
 夜明けと同時に仕事だとぼやく僧侶に、ラジウムは困ったように笑う。
「神さまの前にバチあたりが参上しないだけましだと思って」
 アサシンなんてみんなそうだしねと肩をすくめてみせれば、僧侶は苦笑したものだ。
「確かにそうだな。もっとも、そのバチあたりに好んで従っている俺も同類かもしらんがね」
 そう云いながら進入経路である窓を閉める。宿の二階だというのに、この猫はお構いなしだ。
 溜め息はひとつ。セリオは壁に凭れているもう一人のアサシンを覘き込んだ。
「寝台がいいかな、それとも床で?」
 まだ睨むだけの力は残っていたようで、月詩は唾でも吐き捨てそうな表情をした。セリオは軽くお手上げのポーズをとって、ラジウムに向き直る。
「水を汲んできてくれないか。桶に一杯な」
 途端声を上げて不満そうな顔をするラジウムを安寧と見やれば、すごすごと空の手桶を抱えて部屋を出ていった。
 残された二人に会話はない。おもむろにセリオが月詩の腕を掴んだので、月詩は反射的にそれを跳ねのけた、が、あっさりかわされた。
「何故、助ける」
 唸るように問うと、セリオは藍色の目を一度瞬いてから小首をかしげてみせた。
「それを僧侶に訊くのかい?」
 そうしてもう一度腕を掴む。そのままだと引きずられそうだったので、寝台を指す手に一応素直に従った。
 そっけなく上着を剥ぎながら、
「まあ、凡ての僧侶がそうだとは限らないがね。別に俺だってそうお節介じゃない。要らん命を押しつけるつもりもないが」
 あの方だってそんなに根暗じゃあないよと笑いながら、腹に巻かれた布に目をやる。やれやれと呆れたような声。
「云ってはなんだが、あれのほうが余程酷だよ」
 よく保ったものだと思った。的確な止血をしている癖、意識を飛ばさないように痛みだけは残している。気つけどころの話ではない。賢いを通り越して悪趣味だ。
「毒は取り上げられただろう?」
 自害用のだ。返事がないのは図星なのだろう。助かったのならば、無用に命を絶つのは赦されていないはずだ。ギルドに忠誠を誓う者なら尚更、それには逆らえない。
「あれはそういう男だよ」
 命を大事にしろと云うのではない。尊さを主張するのではない。ただ、赦せないだけ。
 だから、生を強いるのだ。
 歯をきつく噛む月詩を見て、セリオは苦笑した。
「あれの辛そうな顔を見るのは、何でかね、厭なんだ」
 甘いのは勘弁してくれと云う言葉には、月詩にもわかる、仲間への愛情が滲んでいた。
「下らん」
「そうかい? 悪くないよ、仲間というのも」
 君にはわからんだろうが。最後にそうつけ加えると、月詩の顔色が変わった。緑の目が見開き、安い寝台が軋むよりも早く上体を起こしてセリオの腕を掴む。抵抗の無い身体を入れ替わりのように寝台に引き倒し、揃えた指を喉に突きつけた。
「黙れ」
 荒い息の下で押し殺した声。脅しではない。もう一押しでこの白い喉を突き破れる。傷の熱に浮かされたのかぎらつくその目には、確かな激情が燃えていた。
 歯止めがきかないかもしれない。それがわからないはずがないのに、見上げるセリオの目は笑んでいる。
「図星かい? 人は図星を突かれると怒るから」
 セリオの首を、赤い筋が伝う。
「それとも、」
「黙、れ」
 月詩の手に人を殺すためだけの凶暴な力がこもり、また何にもならない時を重ねるだけと知りながら、慣れた感触を指が求めて、
 それだけだった。
 声もなく、月詩はセリオの上に倒れた。這い出たセリオが肩に手をかけて寝台に元通り寝かされても、月詩は動けなかった。
 全身から力が抜けたような癖、傷の痛みはかえって強さを増してきている。
 歪んだ視界に赤い髪が映った。小脇に桶を抱えている。特別気配を消していたわけではないだろう。だが、それに気付かぬほどむきになっていたと自覚する。
 逆行する深層心理に、首の痛みが記録されている。怒りが行動の優先順位を狂わせて対処が遅れた。
 即効性の弛緩毒だ。忌々しいあの猫がやったに違いなかった。
「遅いよ」
 首の傷を拭いながらセリオが云った。ラジウムは肩をすくめて桶をサイドテーブルに置く。
 まあいいよと軽く流して、セリオは僧衣の袖をたくし上げた。首からロザリオをはずし、露になった腕に巻きつける。
 そのまま十字を桶に張られた水に沈めると、清められた水が淡く光り、薄暗い室内を照らした。
「さて、麻酔は要らないね? もっとも、欲しいと云っても俺は医者じゃあないから、ありはしないが」
 云いながら、月詩の腹に巻かれた包帯を解く。鼓動に合わせて血を滲ませる傷を、濡れた手が撫でた。
 意図せず、背が跳ねた。痛みには慣れているつもりだった。水が熱湯のように感じる。獣のような唸りが口から洩れる。
「あっぱれな傷だ。抵抗した跡がこれぽちも無いね。こんな被虐趣味は久方に見るよ」
 口調ばかりは軽く、手は容赦なく傷を責めた。薬でも塗り込めるかのように聖水をかける。火傷とそう大差ない、焼けつくようなそれが、腹に刻まれた荒い悪意を流した。
 ラジウムは背を向けて床に座り込んでいる。気遣いなのか月詩にはわからなかったし、わかったとしても認めたくなかった。
 傷をあらかた清めてしまうと、セリオは清潔な白いガーゼと包帯で丁寧に処理した。
「あの方は万能だが、俺は万能じゃない。僧侶と云っても傷を完全に治せるわけじゃない。奇跡を選り好みするなんて、おこがましいと思わないかい」
 包帯を巻き終えてしまうと、セリオはそう云った。落ち着いた声音は、どこか他人事のようだった。
 痛みが消えたわけではなく、しかし確かにそれは奇跡だった。現実感のなかった鈍い痛みが、鋭さを持って傷を責めてくる。
 息を詰めた月詩を見て、セリオは笑った。
「あの方は根暗じゃないが意地が悪いから。いいじゃあないか、痛みは生きている証なのだし」
 云いながら腕からロザリオを外す。何気なく見やったその掌に、月詩は確かに黒く爛れた十字架の痕を見た。
 祈りの代償とは刻まれた傷痕で、では僧侶に何の見返りがあるというのか。
 疑問に煙った月詩の視線に気付いたのだろう。ロザリオを首にかけなおして、僧侶は踵を返す。
 そうして、うとうとしはじめたラジウムの腕を掴んで起こし、扉を開きながら肩越しに云うのだ。
「それを僧侶に訊くのかい?」
 古い扉の軋む音だけ立てて、僧衣が向こうに消える。
 自分の腕とそれを見比べながら、ラジウムが低く唸った。
「隠してたつもりなんだけどな」
 言葉を聴いて月詩も気がついた。女騎士に斬られた腕。そんなそぶりは見せなかったが、かなり深いと知っていた。
 ラジウムは傷を見直してげっそりしている。偶然か、意図的か。腕を掴んだ僧侶の手に聖水が残っていたのだろう。祈りを受けた細胞が活性化し、新たな痛みを生み出しているのだ。
「神さまって、悪趣味だよね」
 おれが云えた義理じゃないかと一人で笑って、ラジウムは床に寝転んだ。すぐに上体を起こして月詩を見やる。
「もうすぐ薬切れるけど、動かないでね。動いてもいいけど、死ぬよ」
「上等だ」
「止めないよ。でも死ぬ前に助ける」
 もっと苦しいよ。あっけらかんとつけ加えてラジウムは満足したようだ。再び床に転がって、猫のように丸まる。
「それじゃ、おやすみ」
 すぐに聞こえてきた寝息。月詩は己の頭をめぐる様々な疑問に答えを出しかねていた。それを全部このおかしなアサシンの所為にして、硬い寝台に沈む。
 今は休息が必要だと、傷付いた身体が訴える。
 意識をなくすのが厭だった。眠ることが怖かった。
 今まで正しいとしてきた価値観が揺らいだような気がして、そんなことはないと考え直した。あいつが変なことを云うから悪いのだ。俺はアサシンなのだから。
 息苦しさを振り払うように目を閉じると、すぐに眠りにさらわれた。
 こんなに深く眠ったのはいつぶりか、月詩は思い出せなかった。
 蒸気に煙る町並みに朝陽が射して、重く長く続いた夜の終わりを告げる。
 霧が流れて晴れやかに広がるイズルードの空は、今日も青い。



【ありがためいわく】04.1122.AM4:22
アナログでだらだら書いたら要らん部分まで垂れ流しになっている。
めりはりをつけない文章は小説とは云えない。
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by shelldoney | 2004-11-22 04:27 | 小説「出会い系」:完結済

出会い系5

 間に合わないな、と思った。
 昔よく耳にしたから覚えている。あの音は、鉄同士がこすれて響きあういびつな音などではない。力のベクトルに負けた短剣が、音ばかり綺麗に弾き飛ばされるそれだ。
 中途半端に鍛えた耳は、いつも取り返しがつかなくなってから働く。ラジウムは引き絞った筋肉に悲鳴を上げさせ、吹っ飛ぶように流れ去ってゆく暗く翳った邸内を見もせず、脳内に焼きこんだ地図を呼び出しもしないで走った。骨のきしむ厭なうなりが細い身体を支配する。
 やっぱり、間に合わなかった。
 薄ら橙の灯りの下、黒い絨毯がてらてらと光っている。錯覚だ。あれは、本来ならば、目に痛いほど赤いもの。
 開け放したままの、大きすぎる扉に隠れたくなった。下手な前衛芸術みたいな床は、それだけでラジウムの波立ちに欠ける神経を至極ささくれ立たせた。
 一等吊り上がった猫のような目が見つめる先、投げ出された腕には、まだ力がこもっている。何しに来たと問うようにラジウムを睨めつける緑色には、まだ力がこもっている。でも、あれはもうほんの少しで最後のそれを使い切ってしまうだろう。残るものなど一雫もないほどに。燃え盛る炎は消えて、滔々と影を落とした闇色に濁るのだ。
 馬鹿じゃないの。声も出ずに動いた口唇の動きで、相手には凡て伝わったに違いなかった。
 じわじわと侵食してゆく黒。いやあれは赤い。床に散った月色の髪が見る間に染まっていって。
 ラジウムは、足元に転がった短剣を拾い上げた。
「死ぬの?」
 月詩は答えなかった。無様に床に這いつくばったまま、ただ、赤い目を睨む。
 毒塗りの短剣。そんな目したって駄目。返してなんかやらない。鈍く光る刃が覗き込んだラジウムの目を、
 横に跳んだ。
 殆ど本能の行動だった。急すぎる動きに一瞬目がついていかない。遅れて流れた腕を、本来ならば喉を切り裂くはずだった刃が薙いだ。起こった風に血が曲線を描いて絨毯に散る。
 相手の位置と次の動作に意識をやったときには、まだ掌と片膝が柔らかい羽毛の絨毯を滑っていた。上体を起こすなりとんぼを切って立て続けに二本、月詩の短剣と、腰裏から抜いた自分の短剣を投げた。
 耳に突き刺さる金属の音が、二度。
 瞬き一つの間にラジウムは月詩の傍まで移動している。広間か何かか、生憎と手近に隠れる場所が見当たらない。床をさざなみのように伝うざわめきが、邸内の異常を知らせている。時間がない。
「いい腕だ」
 それは女の音で男の響きを持っていた。物も云わず気配も感じさせずラジウムに切りかかった刃の持ち主は、音も立てずに立っていた。騎士だと聞いているのに具足の音すらしない。騎士と云ったら相棒のような姿かたちを無意識のうちに作っていた。迂闊に思う一方、灯りの下に立つその人を見て、ラジウムはなるほど納得した。
 確かに、寒気がするほどいい女だった。
 まず目を引いたのは、艶やかに、緩やかに背に流れる長い真紅の髪だった。赤とは云っても、ラジウムのように血を刷いたような赤ではない。燃え盛る炎のような、夕焼けにも近い赤だ。伸びやかな手足は、鉄ではなく革製の防具に包まれ、無造作に提げられた軍刀には一片の血の曇りもない。男と並べるほどの上背ながら体つきは防具の上からでもしなやかだと判る。鎧などではなく、美しい舞衣を着せて酒宴に呼べば如何ほどの声を呼ぶかは想像に難くない。
 だが、そんな夜の甘さを凡て否定し拒絶しているのが、彼女の目だ。蝋燭のつけるきつい陰影の中、吊り上がった細い眉でも、通った鼻梁でも、象牙の肌でも、形のいい口唇でもなく、金色のそれだけが異彩を放っていた。何の感情もない。熱も、冷たさも感じない。
 ラジウムはその目に、覚えがあった。
 視線と意識を彼女に集中させたまま、月詩の傍に腰を折る。腕を取って引き寄せようとしたら思いの外強い拒絶が返ってきたので関節を極めた。自分より一回り大きい身体を、何でもないように肩に背負う。重くないなんて嘘。元々ラジウムの身体は力仕事に向いてはいないのだ。
「どうして殺さなかったの?」
 笑みさえして、ラジウムは彼女に問うた。背の身体が段々と重みを増していくような錯覚すら起こす。あながち錯覚ではないのかもしれない。これは、命の重さだ。布に染み込んで背を流れてゆく命が、もどかしいほど熱い。
 彼女は答えなかった。紅を引いた口唇が、薄く笑んだ。
 ラジウムもそれに笑み返して、後ろへ跳んだ。動けない人一人背負った状態では戦えない。機動力が半分以下に落ちるのは元から、何より、放っておいたらまず間違いなく月詩は死ぬだろう。
 腹が立つのだ。
 死を覚悟しているという態度が嫌いだ。職務、ましてや使命などという曖昧なものに殉ずるというのが嫌いだ。替えが居るという意識が嫌いだ。
 だからラジウムはアサシンが嫌いだ。
 運がよかったのか、それとも元からそういう風に仕組まれていたのか、窓には鍵がかかっていなかった。一階部分では既に上へ下への大騒ぎである。ここが見つかるのもそう遅くはない。家の主人も起きだしたようで、一度出直す必要があった。
 窓枠に足をかけながら、もう一度振り返った。
 彼女の攻撃に気付かなかった理由が、今ならわかる。殺気がまるでないのだ。風情も無く、理由も無く、ただそこに居る。姿ばかりは美しく、空虚な器は人形のそれ。
 ラジウムの嫌いな姿だった。
 闇夜に身を躍らせながら、ラジウムは短剣を邸内に忘れてきたことに気付いた。自分の短剣はともかく、月詩の短剣には毒が塗ってあった。成分から出所がばれる可能性もあるのだが、他愛もないことなので考えるのをやめた。同業者ならともかく、逃げる際にぼたぼたと零した気配を追ってこれないようなチンピラどもに、もしくはそれを雇った主に、つかませてやる尻尾などこれぽちもなかったからだった。
 ワンテンポもツーテンポも遅れて、チンピラどもを二階に誘導している間抜けな黒髪の騎士に、庭を横切りながら心中でありがとうと云った。



 走りながらラジウムは問いかけた。
「死ぬの?」
 月詩は答えない。地面に引きずる爪先はぴくりとも動かない。
「死んでもいいよ」
 ひたすら東を目指した。日の昇る、朝日が特別綺麗な街へ。
「でも、おれがゆるさないから」
 二秒で決着のつく命なら、無くても同じだとラジウムは思う。
 そんなことは、赦されるはずが無かった。
 東へ、東へ。朝日が昇る前に。
 背中で、小さな悪態が聞こえた気がして、ラジウムは少し笑ってみせる。
 夜は、まだ明けない。
 遠く、潮騒が聞こえた。





【一番悪いのは誰?】04.1031.AM7:31
自キャラならなんでもできるのにな。やられるのもかっこいいのも。
人様のキャラをかっこよく書くのは難しい。かっこ悪いのも。
話を進めていく人物は、やっぱり自キャラになっちゃうなあ。要修行。
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by shelldoney | 2004-10-31 22:51 | 小説「出会い系」:完結済

出会い系4

 二秒だと、ラジウムは云った。
 今も昔も、アサシンが「仕事」をするのに与えられた時間は二秒のみ。それで仕留められなければ負けだ。特別な注文がなければ、苦しむことなく送ってやるのだと。そう教えられたから。
 だが、二秒で決着のつく命なら、無くても同じだとラジウムは思う。
「いっそ二人で逃げるとか」
「ついに沸いたか」
 ラジウムが逆手に握ったダガーが、騎士の喉に押し当てられている。
 リリィが刺突の形で構えた十字剣が、アサシンの心臓に定められている。
 二秒で、否、どんなに時間があったとて、終わらせられるわけがなかった。
 ラジウムはリリィを裏切らないし、逆も然りだ。理由は無いし必要無い。
 間近で鼻を突き合わせながら、失笑すら漏れた。
「本当、お互いリアルラックまでめり込んでるよね」
 どうしようもないよと云って、ラジウムはダガーを引いた。くるりと手の中で一回転させれば、次の瞬間にはダガーは手品のように消え失せ、腰裏の鞘に戻っている。うんざりと溜息混じりにリリィも頷き、剣を鞘に戻した。
 ラジウムはさっそく踊り場に座り込み、一人作戦会議を開催している。どちらも合理的に報酬を得る手立てはないものか。つまりは、両方が両方とも仕事を成功させればいいわけだが。
「……あるわけないか、そんな美味しい話」
 生来直感で行動するラジウムは、物事を余り深く考えない。ゆえに、考えるのは余り好きではない。ゆえに、考えるのは余り得意ではない。ゴーグルから飛び出た赤毛を指に絡めて、相棒を見上げた。
「雇い主、黒なんでしょ?」
「先立つものにゃあ勝てねえってこった」
 白だったらよかったのに。未練がましくラジウムは呟いた。それなら、こちらが撤退する正当な理由になったものだが、生憎この邸の主人は、金に物云わせた正真正銘の腐敗物であるらしかった。こちらが報酬ニ分割なのに対し、きっとリリィは二倍以上の金額をもらうことになる。
 仕様が無い。細く落とした溜息が、血のように赤い絨毯を転がった。自分は愛用のカタールの研ぎ代さえ手に入ればいいのだ。元より金に執着は薄い。自主撤退をネタに、リリィにねだって払ってもらえばよい。厄介ごとは避けるに限る。
 ただ一つの問題は。
「納得してくれるかなあ……」
 ラジウムは跳ねるようにして立ち上がった。一緒に撤退するであろう銀髪のアサシンを思う。一度帰ってリリィの報酬を確認したら、文字通り「一人で充分」な仕事を彼に任せるつもりだ。成功の暁には報酬も全額月詩に渡るはずだが、あの様子ではどうにも金のために仕事をしているようには思えないのだ。
 騎士はなろうと思ってなるものだが、アサシンはそうではない。少なくとも憧れるべき職業ではない。使命だとか、忠誠だとか、そういうものを背負っているアサシンは少なくないが、ラジウムに云わせればとんだ勘違い野郎である。
 だからこわい。
 月詩からは、生きる匂いがしないのだ。最優先事項は任務の遂行。敵に背を向けるのを恐れ、迷わないように自分を戒め、自害用の毒をいつでも持ち歩く。細い糸の上を歩くような、そんな危うさ。
「そっちの相方は、どんな人? いい女?」
 ともあれ、そんなことはリリィに話すようなことでもなかった。女が護衛に雇われるとは、さぞ腕の立つことだろうと思い、ラジウムは好奇心半分に訊いた。
 唐突な質問にリリィは肩を竦める。ラジウムの話にはいつも脈絡が無い。
「寒気がするほどいい女」
 茶化してリリィは答えた。ふうんと途端面白くなさげな顔になったラジウムが、暗い冗談を飛ばす。
「おれの相方も、寒気がするほどいい男」
 まったくもって、寒気がするほどに。
 寝室の場所を目で問えば、顎をしゃくって応えがくる。ありがとうと鎧に包まれたぶ厚い肩を軽く叩いて脇をすり抜けたラジウムの、
「ね。そのいい女とおれと、どっちかって云われたら、どっちとる?」
「莫迦云うな」
「もしそうなったら、どうする?」
 軽い声で、軽い音だった。厭な冗談だとリリィが眉をひそめたときには、猫と呼ばれるアサシンの姿はなかった。
 知った気配の残滓が頬を撫でる。視線を向けた先には薄墨を刷いたような闇色。一体全体何なのだと首をひねって、リリィは気付いた。
 金属音。
 遠くで、誰かが戦っている。
「ラジ?」
 短い問いが、血のように赤い絨毯を転がった。



【いいおとこの去り際】04.1002.PM5:47
続きものにすると、自分に甘くなるのがよくないです。
ここは別にカットしてもいいシーンだったのじゃないかと、今更思ってもしょうがない。
キリのいい最初と最後(自分観点)に徹すると、ぶつぶつ切れてしまうのも、アレか。
プロットを立てないのも、アレだなあ。
多分10話じゃ終わらないような気がする。
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by shelldoney | 2004-10-03 02:16 | 小説「出会い系」:完結済

出会い系3

 広い邸には、隙が多い。
 どんな優美を誇っても、堅固を競っても、夜はすべからく万物に浸透する。昼とて通路の辻には影ができるものだ。日が落ちてからいくら照らそうとも、結局のところふくれあがったその影を助長させるだけにすぎない。それほどまでに闇は深かった。
 南門から、ラジウムはするりと邸内へ滑り込んだ。なんて無用心なんだろう。シーフギルドの新人でも楽に通れそうだと思うのは、流石に莫迦にしすぎだろうか。しかしあんなちゃちな警備では、街のチンピラの門前払いが関の山か、それともたかをくくっているのか。あ、居眠り発見。
 つまりは、プロからしてみれば庭の垣根を越えるより楽な侵入なのだった。
 月詩の気配は感じられない。あの調子ならば東の二階窓辺りから入ったろうか。なるほど、彼のやるべきことというのはそれか。余計な手間をかけず、目的まで最短距離を走る。そこに何があってもだ。波風立てぬためならば回り道も厭わぬ、事なかれ主義であるラジウムにはまったく理解できないが、こういうのをアサシンの鑑と云うのだろう。世間的に見て、決して褒められたことではないが。
 邸内警備の目を盗む必要すら感じず、杜撰すぎるその合間を縫ってラジウムは邸内散策に興じた。遊んでいたわけではない。経路と退路の確認である。やはり地図を見ただけではわからない部分が、現物には多く存在するものだ。この部屋などは装飾品が動線の邪魔をして、立ち回りになったら不便極まりない。
 しかしどうせ向かうのは二階なのである。いざとなったら邸内など通らずに窓から飛び降りればよい。庭にトラップが仕掛けられていないのは確認済みだ。だがまあ、こういうのは気持ちの問題だ。別にサボっているわけではない。決して無い。
 自分の思考にふと物悲しさを覚え、ラジウムは階段に踵を向けた。一階に異常は無い。自分が二階に上がる前に月詩が仕事を終えていてくれればなあと思う。無論給金は半分請求するつもりではあるが。
 無駄に幅が広く、段差の低いそこに足をかけようとして、
「何やってんだ、お前」
 何故気配に気付かなかったのか。かけられた声に硬直するのは、仕方が無いと云えた。この場合は。
 中二階の踊り場に、申し訳なさげに揺れる灯りの下、姿を隠そうともせずに騎士が一人立っていた。鍛え上げられた豊かな長身を騎士団の鎧に包み、外套をまとうその姿は、まさに威厳に満ちて、侵入者に多大な威圧感を与えたことだろう。
 侵入者がラジウムであった場合を除いて。
 一体どういう偶然が働いたのか、悪意すら感じるのは気のせいだろうか。ひとまとめにした長い黒髪に、見下ろす同じ色の眼。整っている癖強面すぎる顔。厭というほど見てきたそれは。
 何故気配に気付かなかったのか。知りすぎていたからだ。
「リリィこそ、何してんの」
 抑揚なく、ラジウムは相棒の姿を見上げた。ここでの相棒とは、仕事以外を指す。アサシンギルドが表立って人殺しを請け負っているわけがないし、数居るアサシンの凡てが要人暗殺などをしているわけでもない。アサシンにも向き不向きというのは確かに存在する。ギルドから卸される仕事は大抵が魔物討伐、危険地帯調査、斥候などだ。
 アサシンとて平素は冒険者なのだ。パーティを組んで冒険地帯に赴く者も居れば、妻や夫を持つ者も居る。ラジウムは暗殺依頼の多いアサシンだが、自分でパーティを組んでいたし、仲間を集めて冒険者ギルドにも加盟していた。
 そしてこの相棒だ。名をタイガーリリィ。アサシンギルドとはギルド規模で喧嘩の絶えないプロンテラ騎士団所属の騎士である。
「お前はよ。仕事は重ならないようにしろって、いつも云ってんだろうが……」
「仕方ないじゃない。一昨日いきなり呼ばれたんだから」
「オレは一週間前から護衛の依頼受けてたろうがよ」
「……」
 リリィはラジウムが暗殺を請け負う類のアサシンだと知っているのだが、本来守秘義務が課せられるそれを、ラジウムがあっさりと暴露してしまっているからなのだが、それでも相棒なのだ。共に割り切っているのか何なのか、それなりに信頼しあえる仲である。
 しかし、仕事が被るとなると話は別だ。
 気まずい雰囲気が流れた。
 新月の夜の邸にアサシンと云ったら、相場は決まっている。リリィがラジウムの仕事内容に勘づいたのは間違いなかった。当然である。それを防ぐために雇われたのだから。
 リリィが護衛の依頼を受けているのは知っていたが、まさかここだとは聞いていない。知っていたのなら適当に理由をつけて断った。やりにくい以前の問題だ。どう考えても両方が報酬を得る道が無いのだから。
 階段を挟んで静かに睨みあう。公私混同など言語道断、私情は捨ててこれから血も凍るような斬り合いをするための静謐たる準備運動、などでは決してない。どちらの懐が温まるかという、ある意味血も凍るような争いではあるのだが。
「いくら?」
「そっちこそ、いくらだ」
 報酬の額である。無論聞いたところでどうなる訳ではない。多いほうに譲って分け合うとか、少ないほうに譲って飯を奢らせるなどという健気な心意気が、万年めり込むほど貧乏なこの二人にあるはずがなかった。
「譲ってくれない?」
 駄目もとで訊いてみた。ストレートな物言いに、リリィは一度瞬きして考え、
「飯二週間」
 考えたふりをしただけだった。冗談ではない。リリィに二週間も飯など奢った日には、報酬は愚か大事にしている武具まで質に入れなくてはならなくなる。
 本当に、冗談ではない。しかしこのままここで立ち往生していても始まらない。月詩が仕事を完遂してくれればよし、駄目ならばラジウムがやらねばなるまい。
 そして互いに仕事を請け負った以上は、のんびりと対話などして時間を浪費しているわけにもいかないのだ。
 音も無く、ラジウムは腰裏に携えた二本のダガーを抜き放った。両手に軽く握って腰を低く構える。応えるようにしてリリィも腰の大剣を抜いた。鞘滑りが、冷え切って研ぎ澄まされた夜気を裂く。
 ほんの少し床を叩いたような音を残して、ラジウムの細い身体が闇に跳んだ。





【灯台下暗し】04.0916.AM8:40
月詩とラジの出会い話のはずが、なぜか相棒にご登場頂く。
これがリリィでなかったら、もっと簡単に話は進んだはずなんだけど。
それでも書きたいからって書いてしまうから、長くなるわけです。
しかも今回月くん出てきてないしな。ありえね。続きます。
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by shelldoney | 2004-09-16 08:43 | 小説「出会い系」:完結済

出会い系2

「月詩、月詩ってば」
 走りながらラジウムは云った。沙漠を越え、街を抜け、郊外の片隅。今夜は新月で、それなりに仕事日和だ。常人ならば歩くことすら躊躇う闇は、アサシンにとってみればいわば友達のようなものだし、見えない訳が無かった。
 前方を小走りに往く月詩は、後ろの声を完璧に無いものとしてのけた。別に回り込んで制止をかけてもよかったが、それはまずいと思われた。毒塗りのダガーが飛んできそうだったからだ。
 仕方なし、少しばかり後ろを走りながら、ラジウムは何度目かも忘れたが名前を呼び続けた。が、やはり無視された。
 結局、仕事相手の邸にほど近く辿りつくまで、会話は一言も交わされぬまま終わった。
 音も無く木陰で足を止めた月詩に、ラジウムはようやっと安堵の溜息を洩らす。いくらアサシンが個人主義とは云えど、打ち合わせなしに完遂できるほど安い仕事でもないはずだ。
 渡された書簡には、邸内地図と仕事相手の動向、留意点諸々が記してある。刺激しないよう控えめに寄って、蛍石とともに書簡を差し出した。
「もう見た」
「あ、そう」
「俺は俺のやるべきことをやる。邪魔したら殺す」
「あ、うん」
「それと、気安く呼ぶな」
「……」
 帰っていいかな。一瞬本気でそう思ったが、そういう訳にもいくまい。こうなればラジウムにだって考えがあった。そっちがペースを崩さないのなら、支障がない程度にこちらも自分のペースでいくまでだ。
「じゃあ月ね」
 ルナと。呼んだ瞬間すごい目で睨まれたが、気付かないふりをした。もう見たと云うならば二度見る必要はあるまい。蛍石の明かりの下で、ラジウムは手早く内容を確認した。
 護衛は二人。珍しく、片方は女だという。仕事相手は武術の心得も無し、甘い蜜を吸いすぎて太った豚だ。大方手を汚したくない誰かが処理を頼んだのだと予想する。依頼者の情報は行者に渡ったりしないから、それは知らなくてよいことだが。
 ちらと月詩の様子を窺った。睨むように邸に目をやり、しかし先に行こうとはしていない。なるほど腕は確かだと、ヒュイの云った通りである。足を止めたこの場所も、護衛とこちらが互いの匂いを捉えられないぎりぎりのラインだ。
 それがこわい。
 云われたことをこなすだけとか、死んだら替えが利くとか、自分を駒だと思うアサシンは多いが、そういう奴に限って腕ばかりよかったりするのだ。まさに、こういうタイプが。
 仕事に自分の命をかけてどうするのかと、ラジウムは思う。
 ぐしゃり。手の中で紙が丸まった。蛍石を懐にしまって、代わりに小瓶を取り出す。とろりと紫色のそれを一滴、手の中に垂らすと、枯れるようにして羊皮紙は溶けて消えた。毒を使うのもアサシンの仕事の一つだ。
「行こうか」
 かけた声に、半身だけで月詩がこちらを向いた。明かりの無い闇夜に、銀の髪はそれこそ月のように映る。そうしてようやっと、彼の瞳の色を知るのだ。
「おれは南から入るから。好きにやってね」
 深海の青を残した緑の眼に、細められた赤い色が絡む。ラジウムは笑って指揮権を放棄した。制圧とか、技術云々に関して、自分が彼に伝えられることなど何も無い。自分のやるべきことをわかっているならそれでよい。殺されてはたまらないし。
 彼は、醜態を晒して生き延びるくらいならば、死を選ぶのだろう。尤もそれが一番困るのだが。
「……了解」
 寂びた声。ラジウムが指揮権を放棄したのを喜んでいるのか、いぶかしんでいるのか、その声音からはわからなかったが。
「じゃ、散」
 呆れるくらいあっさりとした合図を云うが早いか、月詩は枝に飛び上がった。梢を蹴って、回り込むように邸に近づいていく。無造作に見えるが、音一つ上げない。
 腕はいいんだけどな。
 向き不向きというのがあるのだと。ラジウムは小さく呟いた。





【頭痛の種】04.0908.AM1:10
続き。お仕事の前の打ち合わせ風景。というか、打ち合わせにすらなってないという。
月詩くんの科白があまりに少なすぎて泣ける。すみませんラジが喋ってばっかりで。
ぶつぶつ区切るのも結構書きやすいな。続きます。
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by shelldoney | 2004-09-08 01:14 | 小説「出会い系」:完結済