「月詩、月詩ってば」
走りながらラジウムは云った。沙漠を越え、街を抜け、郊外の片隅。今夜は新月で、それなりに仕事日和だ。常人ならば歩くことすら躊躇う闇は、アサシンにとってみればいわば友達のようなものだし、見えない訳が無かった。 前方を小走りに往く月詩は、後ろの声を完璧に無いものとしてのけた。別に回り込んで制止をかけてもよかったが、それはまずいと思われた。毒塗りのダガーが飛んできそうだったからだ。 仕方なし、少しばかり後ろを走りながら、ラジウムは何度目かも忘れたが名前を呼び続けた。が、やはり無視された。 結局、仕事相手の邸にほど近く辿りつくまで、会話は一言も交わされぬまま終わった。 音も無く木陰で足を止めた月詩に、ラジウムはようやっと安堵の溜息を洩らす。いくらアサシンが個人主義とは云えど、打ち合わせなしに完遂できるほど安い仕事でもないはずだ。 渡された書簡には、邸内地図と仕事相手の動向、留意点諸々が記してある。刺激しないよう控えめに寄って、蛍石とともに書簡を差し出した。 「もう見た」 「あ、そう」 「俺は俺のやるべきことをやる。邪魔したら殺す」 「あ、うん」 「それと、気安く呼ぶな」 「……」 帰っていいかな。一瞬本気でそう思ったが、そういう訳にもいくまい。こうなればラジウムにだって考えがあった。そっちがペースを崩さないのなら、支障がない程度にこちらも自分のペースでいくまでだ。 「じゃあ月ね」 ルナと。呼んだ瞬間すごい目で睨まれたが、気付かないふりをした。もう見たと云うならば二度見る必要はあるまい。蛍石の明かりの下で、ラジウムは手早く内容を確認した。 護衛は二人。珍しく、片方は女だという。仕事相手は武術の心得も無し、甘い蜜を吸いすぎて太った豚だ。大方手を汚したくない誰かが処理を頼んだのだと予想する。依頼者の情報は行者に渡ったりしないから、それは知らなくてよいことだが。 ちらと月詩の様子を窺った。睨むように邸に目をやり、しかし先に行こうとはしていない。なるほど腕は確かだと、ヒュイの云った通りである。足を止めたこの場所も、護衛とこちらが互いの匂いを捉えられないぎりぎりのラインだ。 それがこわい。 云われたことをこなすだけとか、死んだら替えが利くとか、自分を駒だと思うアサシンは多いが、そういう奴に限って腕ばかりよかったりするのだ。まさに、こういうタイプが。 仕事に自分の命をかけてどうするのかと、ラジウムは思う。 ぐしゃり。手の中で紙が丸まった。蛍石を懐にしまって、代わりに小瓶を取り出す。とろりと紫色のそれを一滴、手の中に垂らすと、枯れるようにして羊皮紙は溶けて消えた。毒を使うのもアサシンの仕事の一つだ。 「行こうか」 かけた声に、半身だけで月詩がこちらを向いた。明かりの無い闇夜に、銀の髪はそれこそ月のように映る。そうしてようやっと、彼の瞳の色を知るのだ。 「おれは南から入るから。好きにやってね」 深海の青を残した緑の眼に、細められた赤い色が絡む。ラジウムは笑って指揮権を放棄した。制圧とか、技術云々に関して、自分が彼に伝えられることなど何も無い。自分のやるべきことをわかっているならそれでよい。殺されてはたまらないし。 彼は、醜態を晒して生き延びるくらいならば、死を選ぶのだろう。尤もそれが一番困るのだが。 「……了解」 寂びた声。ラジウムが指揮権を放棄したのを喜んでいるのか、いぶかしんでいるのか、その声音からはわからなかったが。 「じゃ、散」 呆れるくらいあっさりとした合図を云うが早いか、月詩は枝に飛び上がった。梢を蹴って、回り込むように邸に近づいていく。無造作に見えるが、音一つ上げない。 腕はいいんだけどな。 向き不向きというのがあるのだと。ラジウムは小さく呟いた。 【頭痛の種】04.0908.AM1:10 続き。お仕事の前の打ち合わせ風景。というか、打ち合わせにすらなってないという。 月詩くんの科白があまりに少なすぎて泣ける。すみませんラジが喋ってばっかりで。 ぶつぶつ区切るのも結構書きやすいな。続きます。
by shelldoney
| 2004-09-08 01:14
| 小説「出会い系」:完結済
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